2008/11/16-19 PAPPY'S BOYS



[11/16 11:28]
2008年11月中旬、米国入国2日目、San Franciscoから一人、分かりにくい地下鉄BART(Bay Area Rapd Transit)を乗り継いでBerkeleyに辿り着いて、UCB (California大学Berkeley校)の森のキャンパスの中をSather Towerから人類学博物館へとそぞろ歩いていて偶然出会ったのがこの銅像。
頼もしげなフットボールのコーチらしいことは一目で分かる。碑文に「LYNN O. "PAPPY" WALDORF / HEAD COACH / FOOTBALL 1947-197? / PRESENTED WITH LOVE AND RESPECT / BY PAPPY'S BOYS / …」とあり、高校で山岳部に、大学でワンダーフォーゲル部に入って山やスキーやってただけで飽き足らずOBになってもOB会に加わったりもしてやってる自分としては、UCBでフットボール選手として活躍し、卒業後もコーチとして現役の面倒を見続けて輝かしい勝利へと導いた人が若くして交通事故にでも遭って亡くなってしまったのだろう、その下でプレイしていた選手達が卒業後に慕って立てたのだろうと勝手にストーリーを想像してしまった。「PAPPYの選手達より愛と尊敬をこめて」かあ、いいなあ、大物OBを銅像にしちゃうとは、さすがアメリカ! などとしばし眺めていると、リスも出てきて一緒に写真に収まってくれた。


[11/19 16:11]
その3日後、STANFORD大構内の変な噴水。後ろの建物には、大きく「BEAT CAL」(CALを打ち負かせ)の旗。CALはカリフォルニア大のことでカリフォルニア大にはUCLA(CAL大ロサンゼルス)とかUCSD(CAL大サンディエゴ)とかいろいろあるが単に"CAL"と言えば本校UCBerkeleyのことだとガイドブックで見てたので、現地在住日本人ガイド氏に「UCBとフットボールの試合でもあるんですか?」と聞くと大当たり。


[11/19 16:11]
赤い水の噴水の上に刺さっている熊のぬいぐるみはUCBのこと、つまりこれは、UCBをやっつけて槍に刺して血がしたたっているというわけ。いくらなんでもやり過ぎじゃないの? STANFORDってやあねえ、それにひきかえUCBは人間的暖かみがあって微笑ましい、などと感心しきりなのでした。

日本に帰ってからネット検索してみると、これまたいろいろ分かって感心することしきりなのでした。
・なぜ熊がUCB? --- これはUCBのフットボールチームの名前がBEARSなのでした。(California州のマスコットも熊さん)
・Pappy氏の履歴は? どうしてそんなに慕われてるの? --- 驚いたことにPappy氏はカリフォルニアの出身でもUCBの選手でもなくて、New York生まれ、現役時代は無名の大学でプレーしていて、卒業後に(他に職業もって転勤とともになのか専任の雇われコーチだったのかは、そこも知りたいところなのだが不明)あちこちの大学のコーチを転々として、最後に9年ぐらいコーチしたのがUCBなのでした。ただし、ひどい成績が続いていた着任直前のBEARS、彼が見始めたとたんに連戦連勝のすごいスコアに大変身して没後殿堂入りしたのでした。そのコーチスタイルは選手の動きを細々と指示するというものではなく、選手を暖かく見守る頼もしい存在だったようです。
・PAPPY'S BOYSとは? --- PAPPYコーチの元でプレーした選手たちであることは間違いないのだが、これは会の名称で、最初は攻撃陣の選手だけの集まりだったのを拡張してPAPPY氏の下でUCBでプレーした全選手(とその未亡人)を会員とするものになって、毎年学生フットボールシーズン直前の金曜日にUCBあたりに集まってパーティーやるのが主な行事。会としてかなりの資産をもっていて、毎年、恵まれない子供達を集めてバス旅行でUCBとフットボール試合を見せに行ったりしているのでした。文献は当然英語しかないので、こんなことを調べようとすると当然英語に四苦八苦(^^;)

そんなわけで、30〜40年前のUCBも組織に従属しないしっかりアメリカ的(日本的でないというべきか)な大学なのでした。

実体験は強いが、えてして勝手な誤った思い込みをしてしまう結果になることがあり、本やネットなどでの仮想体験の方が情報としては公平で正確。しかし、知りたいという動機付けがなければ仮想体験自体するきっかけがない。僕が調べるまでもなくネット上にはWikiPediaなどにPAPPY氏の銅像も出ていたしPAPPY氏の生い立ちや履歴も出ていたわけだが、それを調べたいと思ったのは米国でこの銅像に遭遇するという実体験と強い印象に基づく(間違っていたが)勝手な思い込みがあったからこそで、実体験がなければ膨大な情報も砂漠の何億もの砂粒と同じ膨大な無意味なものでしかなかったわけだ。

そんなわけで、現役とOB(コーチか)の関係、組織と個人の関係という意味で日本と米国の違いが非常に面白かっただけでなく、以前から興味ある人類史上未曽有のネット社会のあり方みたいなことも考えさせられる貴重な経験だった。

このあと、UCBの人類学博物館と美術館を見てからBARTで一駅のAshbyに移動し、Marmot Mountain Works という池袋の秀山荘みたいな山道具屋さんで、日本ではほとんど買えなくなってしまってる山用XC靴を2足もgetして大満足で San Francisco に戻った。今ほどではないものの円高で、日本で売ってる同等の靴の半額近くで買えて、今(2011年2月)も美麻の冬の生活に不可欠の靴として愛用している。

なぜ不得手な英語でそんなもの無事買えたかというと、2〜3人の店員の一人が日本人だったのでした。正確には中学から高校にかけて大阪にいらしたそうで日本語バッチリ。San Francisco周辺では日本人みたいに見えても日本語通じない人が多くて(中国系だったり日本語知らない日系三世だったり)最初から諦めてつたない英語で四苦八苦してたら、「どこから来たの?」「Japan」「なんだそれなら日本語わかるのいるから,,,」で見るからに日本人風の感じのいいお姉さんが本当に日本語ペラペラの日系人だったのでした(^^;) 2足まとめて買ったのでだいぶ割引してくれて、いつまでこちらに? 木曜か金曜に来れればさらに15%割引になるんだけど、とか親切な人たちでした。靴が壊れたらまた行って、今度はLake Tahoeでも回ってこよう。

2011/2/16 - 2011/2/18 | 米国  SF  UCB  XC | コメントする 戻る | 泥と雪
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